「差別的思考回路」の形成

ピアジェ発達段階論によれば、12歳以降の「形式的操作段階」に入ると、人は形式的・抽象的思考操作がができるようになるといいます。つまり、これ以降本格的な「思考」と呼べる知的営為が可能となるわけですが、差別学習の観点からみれば、12歳以降はまさに差別を思考することができるようになる年代ということになります。

このような差別を思考する営為を導く思考のシステムを「差別的思考回路」と呼ぶことにしますと、これはまさに「形式的操作段階」の産物ということになります。とはいえ、ピアジェ理論は基本的に幼少期の児童の発達に焦点を当てたものであるため、12歳以降のいわゆる思春期から青年期にかけての発達過程は捨象されています。

この後を引き継ぐには、エリクソンの理論を参照する必要がありそうです。エリクソンは今や日常語としても膾炙するようになった「自己同一性(アイデンティティ)」理論の創始者として名を残しています。エリクソンによれば、13歳以降の思春期においてはじめてアイデンティティということが発達課題となります。

すなわち、それは「私は何者か、何者たり得るか」という自問に始まります。ここで、自身の様々な属性が自問され、認識されてくるわけです。その一等最初に現れるのは、容姿に関わるアイデンティティではないかと思われます。つまり、自身の容姿の良し悪しが最初に気になり出す年代が思春期です。

思春期が男女とも鏡で自分の姿を頻繁に観照し始める年代であることは、この年代の経験者であれば自覚があるでしょう。鏡の機能自体はもっと年少の時期に理解し始めますが、幼児が自身の姿を鏡で見つめるときに、アイデンティティは問題となりません。彼/彼女は、自分の姿が映し出される鏡の機能に純粋に好奇心を惹かれているにすぎません。

それに対して、思春期における鏡映しはアイデンティティの問いかけと結びついています。そこから、容姿に対する優越感や劣等感が芽生えます。同時に、自分との比較から他者の容姿に対する優劣判断にも及ぶようになります。そこからは、容姿を劣等視された同級生へのいじめという行為も派生します。

しかし、こうした自他の容姿の評価に際しては、自身が属している社会の文化的価値基準が強く影響します。例えば、多くの社会で太っていることや低身長であることは劣等視されますが、逆に太っていること、低身長であることが優等視される社会ならば、評価は正反対になるでしょう。

このような文化的な価値基準は、周囲の大人とのコミュニケーションを通じて獲得されます。例えば、親が太っている人や低身長の人を軽侮する差別表現を頻繁に用いる環境で育てられれば、子どもは太っていることや低身長であることは軽蔑に値することなのだと学習し、自身の価値判断に取り込みます。

こうして、子どもの精神的発達は周囲の大人との言語を通じたコミュニケーションを通じて、価値尺度が内面化されていくことで促進されます。このような発達過程は、再びヴィゴツキーに拠り、「人間の精神的発達は生物進化法則によってではなく、社会の歴史的発達法則によって規定された発達である」とする「文化的‐歴史的発達理論」で説明がつくように思われます。

私が冒頭で指摘した「差別的思考回路」もまた、こうした文化的‐歴史的発達の成果の一つとして、成長過程で体得されていくものと考えられるのです。「差別的思考回路」は容姿に始まり、性別、障碍や人種/民族、さらには性的指向など、より抽象度の高い領域へと拡張されていきますが、その発達過程については稿を改めて検証します。

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