劣等感と差別的価値観

7月初旬の大規模リニューアル後、初めての投稿になります。リニューアルに伴い、「道」をモチーフとしたテンプレートから、「光」をモチーフとするテンプレートに変更しました(まぶしいようでしたら、おゆるしください)。差別克服の困難な道に小さな光明を見出したいとの趣旨からであります。

さて、差別を思考する営為を導く「差別的思考回路」は思春期の頃に形成されるということを前回述べましたが、こうした思考回路だけでは、まだ不充分です。それをベースに、より意識的な差別的価値観というものが形成されて差別的行動様式が完成されます。

そのような差別的価値観の最初の発生時期も、思春期だと考えられます。なぜでしょうか。ヒントはやはりエリクソンの発達理論にありそうです。エリクソンによれば、おおむね10代中・後期に相当する思春期は「自分は何者であるか」というアイデンティティ獲得の重要な時期でもあるところ、その獲得に困難を来たすと、アイデンティティ危機が招来されます。

アイデンティティ危機は、自分が何者であるのかわからないという混乱状態です。そうした混乱状態から抜け出そうと、「自分は何者か」という問いの答えを探し求めるとき、人は他人と比較しようとします。比較という知的操作も、人類の「高等知能」のなせる哀しい業であります。人は、おそらく生涯にわたって、他人と自分を比較し続ける存在なのです。

他人との比較の中でしか、自身のアイデンティティを形成できない━。それが人間です。比較といっても、単に自他の相違点を対照させるというにとどまらず、自他の優劣関係を比較考量しがちです。そうした自他の優劣比較からは、優越感と劣等感の双方が生じてきます。

そのうち、差別的価値観の形成に寄与するのは単純に考えて優越感だと思われますが、差別的価値観の根底を成すのは劣等感のほうなのです。このことは一見矛盾しているようですが、実は優越感の発生源は劣等感にあります。自分は他人より劣っているという自覚は、自分よりも劣っている他者を発見したとき、優越感に反転するからです。

例えば、自分の容姿に劣等感を自覚したとき、自分よりもっと劣等的に見える容姿の人を発見すると、その人に対する優越感が生じます。また自分の知力に劣等感を自覚したとき、自分よりひどい劣等生や知的障碍者を発見すれば、その人に対する優越感を生じます。こうして劣等感から反転した優越感は、アイデンティティ危機の克服と同時に、差別的価値観の形成につながっていきます。

ただ、反転した優越感から、より意識的で分節化された差別的価値観の形成まではまだ距離がありそうです。その距離を埋めるには、エリクソンを離れて、成人期の心理に踏み込む必要があるでしょう。その際、参照されるのは、マズローの「欲求五段階論」です。

マズローの欲求理論は、エリクソンの発達理論では大雑把にしかとらえられていない20歳以降の成人期をカバーする一つの発達理論(成人発達理論)として受け取ることができます。マズローによれば、人間が健全に人格形成されるうえでは、①生理的欲求②安全の欲求③愛と帰属の欲求④尊重の欲求⑤自己実現の欲求の五つの欲求が充足されている必要があるといいます。

マズローはこれら五つの欲求すべてを充足した「自己実現者」に見られる15の人格的特徴を挙げていますが、その中で差別に関わる特徴としては、「他者への寛容」「対人関係における心の広さ・深さ」が重要です。

逆に言えば、「他者への不寛容」「対人関係における心の狭さ・浅さ」こそが、差別的価値観の源泉となります。つまり、差別的価値観は前出の五段階欲求が欠乏している結果―それも、欲求的劣等感を生みます―として、また欠乏している度合いに応じて、形成されると言えます。

とはいえ、差別的価値観の形成度合いには、確信的なものから、気分的なもの、無自覚的なものまで相当な個人差があります。そうした個人差がいかにして生じるのかという次なる問題が浮かび上がりますが、これについては稿を改めることにします。

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