差別とパーソナリティ(上)

前回の記述の末尾で、差別的価値観の形成度合いには、確信的なものから、気分的なもの、無意識的なものまで相当な個人差がありますが、そうした個人差はいかにして生じるのかという問いを掲げました。今回はこの問題を考えてみたいと思います。

個人差と聞いてすぐに思い起こすのは、パーソナリティです。人は成長の過程で、独自のパーソナリティを形成していきますが、人類のパーソナリティは、「十人十色」というように、他の動物と比べても複雑かつ多様な分化を示します。それも、おそらくは人類が進化の過程で獲得した「精神」という特殊な作用の結果なのでしょう。

差別とパーソナリティとの関わりで見ると、確信的ではないが、何となしに偏見が強く、他者を見下したがる気分的な差別主義に赴く人は、何らか固有のパーソナリティを有しているように思えます。その点で、注目されるのは自己愛性パーソナリティと呼ばれるものです。

自己愛性パーソナリティとは簡単に言えば、自己陶酔するナルシストの性格ですが、精神医学的には「自己愛性パーソナリティ障害」と呼ばれ、精神疾患の一種として、正式の診断基準も示されています。注 筆者は「障害」の「害」は差別的用字とみなすため、旧漢字で「障碍」と表記しますが、本稿では精神医学の用語に従い「障害」と表記します。

ここでは精神医学の詳細に立ち入ることは行論上避けますが、「自己愛性パーソナリティ障害」の症状の中で、特に差別との関わりが深いのは、「自分より劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる」という項目です。

こうした他者への劣等視は、まさに差別行為の出発点なのでした。とはいえ、自分が好きでたまらないナルシストがなぜ他者を劣等視しがちなのでしょうか。ここには、前回も一般的な発達心理学説を参照して指摘した劣等感の問題が伏在しているようです。

前回、差別の根底にあるのは劣等感であることを示したのでしたが、実は「自己愛性パーソナリティ障害」の症状の一つとして、「脆く崩れやすい自尊心を抱えている」という項目があります。「脆く崩れやすい自尊心」とは、通常の自尊心とは異なり、その正体は劣等感なのです。劣等感が転じた優越感と言ってもよいでしょう。

「自己愛性パーソナリティ障害」の筆頭症状は「過度な優越感を抱いていること」なのですが、逆説的にも、この優越感は劣等感をベースにしているため、「脆く崩れやすい」わけです。従ってまた、「容易に傷つき、拒否されたと感じやすい」という症状にもつながっていくのです。

前回参照したマズローの「欲求五段階論」に照らせば、「自己愛性パーソナリティ障害」の人は五段階の欲求の中でも、四番目の承認欲求の欠如が原因していると考えられます。承認欲求とは、自分が所属する集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求のことで、この欲求が欠乏すると、劣等感を抱きやすくなるとされます。

承認欲求というのは、集団内における地位とも関係しており、通常は地位が高いほど社会的承認度も高くなるので、高位者が承認欲求の欠乏状態に陥ることは少ないでしょう。すると、少なくとも人生のある時期までは承認欲求が満たされない地位にあった場合に、承認欲求の欠如を生じ、その状態が恒常化するほど、「自己愛性パーソナリティ障害」に陥りやすくなると言えるでしょう。

こうした「自己愛性パーソナリティ障害」の人が体得しやすい差別的価値観は、本質的に気分的なものですから、人種理論とか優生学のような形で体系化・教条化されていません。だからといって大したことはないと等閑視するのは危険です。気分的差別主義者が、自身の差別的価値観を正当化しようとして“勉強”し、ひとたび体系化・教条化を始めた時には、確信的差別主義に昇華されていく可能性があるからです。

ただ、気分的な差別主義と確信的な差別主義の間にはかなりの距離があります。確信的な差別主義の出所は「自己愛性パーソナリティ障害」のような病的パーソナリティではなく、もっと普遍的な正常範囲のパーソナリティと密接に関連しているようなのです。 

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