「差別学習」の最原点

差別行為の基層には、事物を識別するという認知機能があります。事物の識別という認知機能は、人類以外の動物にも備わっているようですが、人類の場合は、識別した事物に価値の優劣を付けるという思考操作が加わります。このような価値序列化は人間の持つ「高等知能」の作用と考えられていますが、そのことがあだとなって、差別行為という人間特有の問題行動が発生するのです。

私見によれば、差別行為の出発点には色の識別という認知機能があります。専ら肌の色によって自他を差別する初歩的な人種差別がまさに色による差別です。これは、進化の過程でその代償として全般に五感の働きが退化した人類にあって、視覚は比較的優れていること、とりわけ色の識別能力が高いことによるものと考えられます。

例えば、身近な動物である犬や猫はせいぜい数種類の色しか識別できないと言われるのに対し、人類は絵の具や色鉛筆の種類からもわかるとおり、微妙なグラデーションの多彩な色を識別する視力を持っています。そのため、同じ「黒人」でも色の濃い黒人と薄い黒人とが識別され、差別にも微妙に格差が生じるといった複雑な現象が生じてきます。

それにしても、こうした人類の色の識別能力は何歳くらいで身につくものでしょうか。その点、認知発達理論によれば、おおよそ生後4乃至6か月の乳児はすでに色の識別能力を持っているとされます。ただし、この段階では原初的な色彩認知にとどまり、色の名前まではもちろん言えません。

認知科学の知見によれば、こうした原初的な色彩認知は、同じく原初的な数の観念などともに人類が種として生来持っている生得的知識のシステムに組み込まれているとされます。しかし、このような原初的な色彩認知だけでは発達としてまだ不充分で、乳児の色彩認知は犬や猫など動物一般の色彩認知と大差ないものです。

ちなみに、こうした乳児の生得的知識の中には、「意外性の認知」というものがあるといいます。すなわち、乳児はおよそ意外なものを見つけると、長く凝視するというのです。これはまだ差別行為とは言い難い原初的な認知反応にすぎませんが、差別行為において差別される対象はやはり「意外」な者、特に珍奇とまなざされる者であることを考えると、こうした生得的な「意外性の認知」も、差別行為の基層を成すと考えられます。

ところで、人類の健常的な発達過程では、原初的な色彩認知がさらに分化した色彩認識へと昇華されていきますが、そうしたより高度な色彩認識が発達し始めるのは、2歳乃至3歳頃からと見られています。最近の研究によると、このような多彩認識の獲得は生来的なものでなく、後天的な視覚体験によって学習を通じて獲得されるといいます。

すなわち、生後間もないサルを一年間単色光照明だけで飼育すると、見本の色と同じ色の対象物を選ぶという見本合わせの課題では、長い訓練によって正常なサルと同じ成績が得られるようになったが、見本の色によく似た対象物を選ぶという類似性判断の課題では、正常なサルとは異なった結果が得られたのです。

要するに、微妙な色のグラデーションを識別するには、多彩な色を視覚的に体験することが必要であり、単色の世界で育てられると、訓練してもごく基本的な色の違いしか識別できなくなるということです。その点、人類の乳児は健全な生育環境で育てられる限り、多彩な色に囲まれて育ちますから、微妙な色のグラデーションを識別できるようになるのでしょう。

もっとも、2歳乃至3歳という早幼児期の色彩認識はまだ発達途上的なものであり、例えば「黒は白より劣っている」といった価値序列化はできません。この段階では、初歩的な色の名前を片言で覚え始めることがせいぜいでしょう。色を価値序列化するためには、さらなる認識の発達を必要とします。これはより高度な思考操作能力が発達する年代のことになります。

とはいえ、色の原初的認知や意外性の認知に始まり、初歩的な色彩認識に至るまで、差別行為の最原点を成す認知機能が、生得的な知識を土台としながら、視覚体験も加わって、2歳頃までの乳幼児期―それは、ピアジェの発達理論における「感覚運動段階」にほぼ相応します―にすでに発現しているという事実は深刻です。「三つ子の魂百まで」の格言がまざまざと想起されます。

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