「差別学習」の研究

2018年は人が差別的価値観をいつどのようにして体得していくのかという大問題を課題とするという趣旨のことを宣言していながら、実行できませんでした。言い訳をすれば、体調や身内の不幸などいろいろありますが、書き連ねることは避けます。当ブログ自体の更新が大幅に滞っている中で、今年こそは課題の実行をなどと宣言することもできません。

とはいえ、この課題は差別克服の道を考えるうえで、避けて通れません。昨今、世界中で差別的価値観を公然と表明するような人物が政界に進出してきており、差別問題は新たな展開を迎えています。このような時代状況をどうとらえるかという政治的な評価についてはまたの機会に譲り、ここでは別の観点を示してみます。

政治家らによる差別言説の表明に際して、批判が巻き起こることは良い傾向です。しかし、批判を向けても、言説の発信者の価値観を変えることはできません。かれらは批判を承知であえて放言しており、むしろ批判を聞いてほくそえんでさえいるのです。批判に対して表面上謝罪や修正を行なったとしても、それは本心ではなく、予め用意していた対策マニュアルどおりの対応なのです。

それにしても、かれら差別主義者はいつどのようにして差別的価値観を体得したのでしょう。この謎を解くことは、かれらの言説に対してその場その場で批判すること―その意義を否定するつもりはありませんが―以上に、重要なことだと思われるのです。

以前の記事で、差別主義者(広義のレイシスト)を確信的/気分的/無自覚的の三種に分類しましたが、このうち最も強固な差別主義者であるところの確信的差別主義者といえども、誕生した瞬間から差別主義者でなかったことは明らかです。

およそ価値観というものは遺伝子を通じて遺伝情報として世代継承されるような性質のものではなく、100パーセント後天的な何らかの学習を通じて体得されていくものだからです。では、私どもの多くがそれに該当する無自覚的差別主義者を含め、私どもは発達成長過程でどんな学習を通じてどんなふうに差別的価値観を体得するのでしょうか。

このような言わば「差別学習」の研究はいまだ不充分です。しかし、これを究明しない限り、差別を根本的に克服することは不可能です。差別現象に対して、様々な「施策」を通じてこれを克服することは重要でありますが、そもそも差別の学習を遮断する阻害剤のように機能するより根本的な対抗施策が必要です。

それを確立するためには、発達心理学や認知心理学を応用しながら、およそ人が差別的価値観を体得していく過程とその機序とを逐一突き止めていかなくてはなりません。まるで科学者のような作業となります。冒頭述べたとおり、これを今年の課題として宣言することは避けつつ、ざっくり今後の当ブログ課題として位置づけていく所存であります。

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